南米アンデス:アコンカグア(標高:6962m)遠征
2006.12.13〜2007.01.06

 特別な登攀技術は必要なく、比較的容易に登れる山とされているアコンカグア、(勿論、ノーマルルートに限定されると思うが)。しかし標高は7000mを僅かに切る高峰である。気圧は、Sea Levelの50%に満たない。当然、不用意に取り付けば高山病で軽く撃退されてしまう。

 現地入手パンフレットは語る・・・・『アコンカグアあたりの緯度での植生の限界は、海抜3200m前後であるが、ヒマラヤの森は、海抜4000mあたりでも見受けられる。したがって、高所に於ける空気中の酸素濃度は、アコンカグアよりヒマラヤのほうが高い。低酸素濃度、高度、登行ルートのバリエーションなど登行の困難性には様々なレベルがある。条件によっては、8000m峰の登行と同様な肉体的、精神的努力を必要とする。これらのことがクライマーに、8000m峰とアコンカグアを比較させてしまうのである。あるクライマーにとっては、アコンカグアのサミットに立つことが自分のスポーツ登山のゴールであり、また他のクライマーにとっては、ヒマラヤのより高いサミットに立つ為に、高所に於ける自分の状態と肉体の耐性をテストすることがアコンカグアのサミットに立つ目的であるかもしれない。』・・・・と。

 どのようなモチベーションを持って臨んだとしても、条件によっては、8000m峰に取り付くのと同じ覚悟が要求される!我々にとっては、Slow and Steady!・・・・and Be Careful!でなければならない山である。


 ■ウェブサイトによると、アコンカグアの登行・登攀ルートは、30以上もある。どんな目的で、どのルートを選択するかは、クライマーのメンタリティに拠る!
 
 サミット優先であれば、高度以外の登行条件を容易に!、登行そのものを愉しむ!のを大事にすれば、ひょっとしたらサミットには立てないかもしれない・・・・しかし、気持ちは、いつも二兎を追う・・・・。

 2004年6月のデナリ(マッキンリー)遠征後、次のターゲットの検討をはじめた。6200mは何とかクリアした。もう少し高度を上げた場合、どうなるのか?高度以外の登行条件を出来るだけ抑えて、出来れば7000mを狙いたい!・・・・・

 
こうしてターゲットは、7000mに少し足りないが、7大陸最高峰のひとつ、南アメリカ大陸最高峰:アコンカグアとなった。この時点では、勿論、ノーマルルート・・・・

 しかし、気持ちはいつも二兎を追う・・・・年が変わり、具体的な計画にはいる。ウェブサイトで、我々の実力でも取り付けそうなバリエーションルートとして、『ポーランド氷河ルート』があることを知る。バリエーションルートからアコンカグアのサミットへ!・・・・我々の気持ちにぴったり!これで目標が決まる!

 準備は、ポーランド氷河ルートに取り付く条件で進められた。もし、条件が合わずダメな場合、ノーマルルートにエスケープできるルート:Falso de los Polacos Route があることも精神的な面で気持ちを楽にさせた。


 アコンカグアは、アルゼンチンにあるが、チリとの国境に非常に近い位置にある。しかし登山許可は、州都であるメンドーサ(Mendoza)で取得しなければならない。空路でメンドーサにはいるか、チリの首都サンチャゴから陸路で国境を越えてはいることも出来る。我々は、後者を選択する・・・・多少時間はかかっても、陸路での標高3200m近い国境越えがおもしろそうだ、と考えた。




A. Relinchos からのアコンカグア(Co. Aconcagua: 6962 m),右は、アメヒーノ(Co. Ameghino:5918 m)


【登山活動概要】


12/13、出国。12/14、チリ入国。同日、サンチャゴ空港からチャーター車で、国境を越えメンドーサにはいる。メンドーサまでの距離は、300km強で、7時間を要するロングドライブとなった。翌12/15、1人当たりおよそ330U$(ハイシーズンの料金)を払い込んで登山許可取得する。同時に、ガソリン、ガスカートリッジ、食料、等を購入、同じ車で登山基地となるペニテンテス(Penitentes)のホテルにはいる。

【写真右:ベースキャンプのプラザ・アルゼンチーナ(4200m)】

 
ポーランド氷河ルートは、アコンカグア東面である。従い、Vacas 谷経由で東面のベースキャンプ(BC)であるプラザ・アルゼンチーナまで入らねばならない。出発地点のプンタ・デ・バカスからBCまでの距離は、およそ42.5 km、通常3日間のトレッキングである。
 
 同日ホテルで、ムーラの手配につきエージェントと打ち合わせをする。3人の荷は、合計130kgあまり、ムーラ3頭でBCとなるプラザ・アルゼンチーナまで運ぶことになる。

 12/16、プンタ・デ・バカス(標高:2400m)に移動、実質的な登山開始。パンパ・デ・レーニャス(標高:2800m)、カサ・デ・ピエドラ(標高:3200m)でそれぞれ1泊し、3日目の12/18、BCとなるプラザ・アルゼンティーナ(標高:4200m)にはいる。

 

 アコンカグア山域入山のチェックインは、1回目がパンパ・デ・レーニャス、2回目がプラザ・アルゼンティーナの2回。前者で、ゴミ袋を、後者でハイキャンプでの排泄物処理ペーパー用袋を支給される。これらは、下山(チェックアウト)の際、レンジャーに出さねばならない。

 
【写真左:12/25、アタックのベース:C2設営】

 
植生は、せいぜい3500m辺りまででそれ以上は無機質の世界である。高所で粉雪が舞う程度で、まったく降水のない乾ききった、埃っぽい、そして強風の吹き荒れる世界となる。アコンカグアは、12/15よりハイシーズン。しかしほんとに天候が安定するのは、1月以降らしい。

 プンタ・デ・バカスまで送ってくれた現地エージェントのローレンスさんが我々にアドヴァイスしてくれた・・・・・・Dry、Dry、very very Dry! ・・・So、 Drink、Drink、much Drink!勿論、高山病防止のために、3−5L/dayの摂取は必要不可欠だが、水が不足すると高山病どころか干乾びてしまいそうだ・・・・。




 
■12/19より本格的な登山活動開始。比較的順調に、C1(標高:5000m)、C2(標高:5800m)とキャンプを上げる。レストデイも十分とったこともあり、高度順応は3人共にスムーズに進んだ。多分、デナリの経験がサポートしてくれたと思う。

 
C2に初めて荷上げした12/23、ポーランド氷河を目の当りにする。ウェブサイトで見た写真より、はるかにスケールが大きく、部分的に傾斜もきつそうだ。よく見ると、アイスの部分がかなりある・・・・・6000mを越える高所でのアイスクライミングは、我々の実力では無理だ!・・・・Falso de los Polacos Routeへの転進を即決する。

【写真右:12/27、アタックの朝の Gl. de los Polacos 】

 
12/27、待望のアタックの日到来。往復15時間と見込んで、明るくなった06:40、C2を出発した。今の時分、21時まではランプは不要だ。あまりパワフルでない3人だが、17:00、6962mのアコンカグアサミットに立つ。

 
最後の、カナリータ(Canaleta)と呼ばれる急傾斜のクーロワール:400m弱の登りはさすがにきつかった。数歩行くごとに立ち止まっては、ゼイゼイ!、はあはあ!アゴが出る・・・・我慢、我慢、この苦しみ、時間が解決してくれる・・・・・我慢の一歩は、着実に我々をサミットに導いた。


トラバースから右斜上、カナリータへ向かう。標高:6500m付近(2006.12.27)
左岩峰を落とす岩稜のトップがアコンカグア頂上

下山は、パンパ・デ・レーニャス近くの鉄橋が落下したため、急遽ビバークせざるを得ないというトラブルはあったが、計画より3日早い12/31、ペニテンテスに下山した。ペニテンテスで2日、サンチャゴで2日休養を取り、乾いた夏とワインを愉しむ。01/04、チリ出国、往路と同じルートで01/06帰国した。

 
デナリ(マッキンリー)とアコンカグア、僅か2回であるが、高所登山を経験することが出来た。これらを通して得たものは大きい!
・・・・さ〜て、次はどっちむいて歩こうか?・・・・・・
■Reported by Yasuo Kubo


【概略登行ルート図】


アコンカグア東面のルートと今回の登行ルート(Falso de los Polacos)
写真右:山頂を示す十字架の前で記念撮影(2006.12.27 17:30)

●アコンカグア遠征参加者:岡村繁雄、高木康、久保泰雄、以上3名●

●旅行手配は、アドベンチャー・ガイズに1式依頼●
【エヤーチケット手配、現地移動(サンチャゴ〜メンドーサ〜ペニテンテス)、ホテル・ムーラ手配、登山許可取得援助、等】


【参考資料】

『実績行程概要』及び『アコンカグア登行行程実績』
Rutas de Acceso/Access Routes ■Base Campまでのアクセスルート及び概算距離■
アコンカグア装備表:共同装備、個人装備
登山許可証

アコンカグアHP
アコンカグアの気象(気温と風 ON-LINE


アタックの朝、C2(5800m)より北〜北東方面を望む:2006.12.27


【行動記録】


お知らせカメラのメディアの不具合により、12/13〜12/26に撮影した写真の大半が現時点では再生できていません。再生でき次第、アップする予定です。

12/13-12/18:出国〜サンチャゴ〜メンドーサ〜ペニテンテス〜プラザ・アルゼンティーナ(BC)
12/19-12/26:プラザ・アルゼンチーナ(BC)〜Camp 1(5000m)〜Camp 2(5800m)
12/27:Camp 2〜アコンカグア(6962m)登頂〜Camp 2
12/28-2007.01/06:Camp 2〜Camp 1〜プラザ・アルゼンティーナ(BC)〜ペニテンテス〜帰国

アコンカグア本峰(北峰)直下最後の登行。バックは南壁と南峰(6930m):2006.12.27


【Message from Member of Team "Arashi" 】

S.Okamura Y.Takaki Y.Kubo

平成166月北米最高峰アラスカのマッキンリー(6194m)に登頂、今回平成1812月南米最高峰であるアルゼンチンのアコンカグア(6959m)に登頂したわけであるが、いずれの山もスケールの大きさに圧倒される。

 マッキンリーでは、雪と氷の世界。一方アコンカグアは、毎日晴天であるが乾燥した荒地の中を登って行くという感じで、ところどころ木が生えているが、うかつにつかむとトゲが手に刺さる、おそらくサボテンの仲間だろうが何度かトゲが刺さり痛い思いをした。4200mのBC(ベースキャンプ)まで約四十数キロ、ムーラで主要な荷物を運ぶ。単調な工程を毎日5時間から6時間歩く。前半の2日間は、風が強くうんざりするほど長かった。2日目のキャンプ地(CASADE PIEDRAS)で比較的澄んだ沢水をくんで簡易浄水器でろ過し飲んでいたところ、たまたま居合わせたカナダパーティーの女性よりのアドバイスでその沢の水は、沸かしても飲まないほうがよく小屋の上の水場を使用した方が良いと聞き、あわてて多少濁りはあるが小屋の上に流れている、水場の水を採取しろ過ご使用した。翌朝、水場の丘の上よりムーラの群れが降りて来るのを見て納得した。沢の上は、ムーラの寝床で糞がいっぱいで、糞の中を沢が通っている状況であった。その後数日は、不安であったが幸い下痢もすることなく助かった。

 1218日に、BC(PLASA ARGENTINA)へ到着。朝は冷え込み氷点下近くまで下がるし、昼間のテント内は、風が無いときは、出入り口を開けていても温室状況で40度前後まで上昇し、短パン1枚でひたすら我慢、外は風が強いと寒いし砂だらけ、風がないと日干し状況で、なんとも過ごしづらい状況であった。ただわれわれが世話になった、ツアー会社の設営施設であるDANIEL LOPEZは、キッチンも完備、注文すればビールやディナーもありBCではオアシスのような存在であった。


 BC付近より上部のペニーテンテスと呼ばれている独特の氷柱風景は、必見である。荷揚げ時に、淡々と歩き高度を稼いでいるうちは、良いのだが、5000m前後でこのペニーテンテスを何度か横断した時には、氷の先が折れバランスを崩しそうになったりし、息が切れけっこうしんどかった。下山時には、ペニーテンテスの中にトレースもはっきり出来ていて、解けてかなり形も崩れていた。

山頂へは、ノーマルルートへ回り込みアタック、インデペンデンシャ小屋を過ぎた付近から風が強まり持っていた手袋を4重にして寒さをしのいだ。山頂近くになると私自身は、比較的高度順応もうまくいっていたつもりであったが、空気の薄さ(息切れ)を実感。後方に南壁が見えてから山頂までが長く感じた。おそらく誰もがこのあたりが一番つらいとこであったと思う。山頂に着いた時は、もうこれで登らなくていいんだと思うと同時に山頂に立った時間を考えると、早く下山しなければと、直ぐ頭を切り替え、そうそうに写真を撮って山頂を後にした。結局テントに戻った時は、日が落ちていて、予想されたこととはいえ、へろへろになって水だけ飲んでシュラフに潜り込んだ。


 28日C2からBCへ下山、荷物を3人で手わけして、雪を溶かし水を作るのもめんどうで、水無しで下山したため、やむをえず途中2度ほどやや濁度がある氷河の解け水をま飲んだが、うまかった。その下山時に、靴がやや合わなかったのだろう両足の親指の爪を傷めてしまい、はげるのも時間の問題だったが、テーピングして何とか最後まで歩くことが出来た。
 BCからプンタテバツカスまで3日で登った工程を、2日で下山したわけだが、氷河の雪解け水が増えハプニングも多くあり、結果的には、下山の方が苦労させられた。帰国してから、12時間の時差ボケと体力消耗のため、カゼをひき体調が戻るのに、二週間ほどかかってしまった。

残念なことに、数百枚撮ったデジカメの写真が、メディアのトラブルで現在のところ修理中である。今後長期山行の時は、メディアはいくつかに分けることにしたい。(Reported by S.Okamura)


2006年12月13日〜2007年1月6日の25日間、2004年のマッキンリーは27日間とほぼ同じ期間と思われるが行地は日本の真裏の真南、乗継時間など入れると40時間近くでチリのサンチャゴ、そこから陸路で国境を越えアルゼンチン、メンドーサへ入り一日宿泊し、再度国境近くまで戻り、ホテルへ宿泊、その翌日に登山開始とエントリー&リターンにかかる時間は比べ物にならない、とにかく機内と乗継の時間は大変でした。

 予想はしていたが雪は少なかった代わりに砂漠のようなルートに乾燥しきった昼夜、湿気の大好きな日本人の私には酷な日々でした。
高度の問題は前回で経験したとおり5000mから上はやはりきついが今回は毎晩服用したダイアモックスのおかげで呼吸は少し楽でした。
南米の大地にも戯れたし、山頂からのアンデス山脈を見下ろし、自然の厳しさやすごさ、日本では味わえない空間を存分の満喫した楽しい旅をありがとうございました
(Reported by Y.Takaki)


実質的な登山活動は、計画では12/16より開始、その丁度3ヶ月前、9月中旬に沢登りで靱帯を痛める・・・遠征に間に合うか、どうか?完全に安静にすれば勿論間に合うが、完全安静なら逆に体力は落ち、多分登れまい・・・ぎりぎり体力が維持できる1ヶ月毎のトレーニングで、3ヶ月目には9割程度は回復させる・・これが私の作戦。10月の四国沢登りでは、下山で痛みがひどくなり、次の週膝の水抜き、11月の富士山、これも下山で少し痛み、次週又膝から水抜き・・・そして1ヶ月後、遠征出発!・・・・膝は何とか持ちこたえサミットを踏むことが出来た。こんな綱渡りは、はじめてである・・・自分の体は、自分で守らねばならないし、無理、無鉄砲は禁物、だと深く反省している。

 6962mは、やはり苦しかった。マッキンリー(6194 m)は、苦しいという感覚は起きなかったが、今回は足が進まない、きつくて何度も何度も立ち止まる。7000m近い高所だから、当然のことなんだろう、と思うが・・・怪我によるトレーニング不足は承知のうえだが、これが限界なのか、もう少し”高所”に行けるのか、どうなんだろう?
 これで2回の高所登山を経験した。得たものは大きい・・・・6000m峰が、実感として視野に入った様な気がする。しかし、問題は、これからどっちに向かうのか、より高く?あるいは、6000m前半で少し余裕を持ってバリエーションか?・・・・
 
 ともあれ、日数も金もかかる遠征に、山岳会の仲間で行ける!というのは得がたい財産だと思う・・・・仲間がいて自分がある、改めて実感する遠征であった。
アコンカグアのレポートはまだなのに気持ちが、Next Stage へ動き始める・・・みんな、また出かけようネ!
(Reported by Y.Kubo)
 


全ては眼下に!アコンカグア山頂よりバカス谷方面を望む(2006.12.27)